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投票率は無理して上げなくていいんじゃなかろうか

 

松本です。

都知事選が終わりましたね

都知事選が終わり、初の女性都知事として小池氏が当選しました。都民ではないのですが、まぁ、いいところに収まったという感じでしょうか。

今回の都知事選の投票率は59.73%だったらしく、前回の46.14%と比較すると大幅アップとなっています。

つまりは、前回ほど「消去法でこの人」という結果ではないのかなと思います。

投票率は上げるべきなのか?

さて、選挙になると、よく投票率の話になります。

投票率が高いのはいいんですが、それと同列のようにして「もっと投票率を上げよう」という論調になることは、なんか違うんじゃないかな、と思います。

なぜならば、投票率は目的でも手段でもなく、ただの結果だからです。

目的のために手段を選び、手段を試行錯誤することで目的の達成を追求します。その結果として、まぁ、結果があります。

それを結果から逆算していくのはどうなんだろう、と思うのです。

選挙と投票率を上げることは別問題

なので、投票率を上げることを別の目的とすればいいと思うんですよ。

選挙と同時に議論されるから変になるわけで、投票率を上げる目的のために、教育とか政策という手段を試行錯誤すると。

一般的なの政治議論として、投票率を上げるには、というのは何も違和感がありません。選挙に付帯した同問題として議論されるのが、なんか変だなと思うのです。

まぁ、例というか、すごくわかりやすい結果があるので、議論になるんですけどね。でも出発点がそこだと結局同じようなことを言うだけで終わっちゃうんじゃないかなって。

違和感がないのと著しく推奨するのは別問題

ただ、そもそも僕自身、投票率がめちゃくちゃ高くなればめちゃくちゃいいな!と思っているわけでもありません。

極論、投票率を100%にすれば最高ということになりますが、そのためにはどうすればいいでしょうか。

義務化することでも絶対無理です。現にオーストラリアでは義務化されていますが、非常に高い投票率となっているものの、100%はあり得ません。

100%にする方法、それは全員に対面して聞くことですよね。

可能か不可能かは別として、そうすることで100%は達成できるでしょう。

しかし、そうなると、その100%のうちのどの程度が意義ある意見なのか、というのが問題になります。

一票に差はありませんから、一晩寝ずに考えて投票した票も、何も考えずに求められたから適当に名前で選びましたという票も一票です。それが民主主義なので。

その制度に異論はありませんが、しかしながら、気持ちとして、なんだかなぁと思うこともこれまた事実ではないでしょうか。

ハードルがある方がいい

僕が思うのは、ある程度、投票することに対してハードルがある方がいいと思うんですよ。

投票率が高いことはもちろんいいことですが、それが100%に近ければ近いほど、民意が反映されたと言ってしまうのは、少なくとも現状では違うんじゃないでしょうか。

だったら、家で寝ながらスマホいじって投票できてしまうよりは、近くの投票所に足を運んで投票しなければならない現状の方がいいと思うんです。

もちろん、教育や制度の結果、国民の政治に対する興味がふつふつと沸き上がり、投票しなきゃ!いや、投票するのが当然っしょとなり、投票率が結果として上がることは素晴らしいことだと思います。そしてその結果として、家で寝がらスマホいじって投票できれば便利ですけどね。

ですが、その不便さは意義のない投票を防いでいるとも言えると思うのです。

最もわかりやすく説明すると、パチスロ北斗の拳〜転生の章〜でボタンを押してあべしを確認できるよりも、メダルを入れて確認しないといけないことがライバルを減少させていたのと同じ、ということです。

なるほどね!

まぁ

最後が言いたかっただけですけども。

というか、投票率が何%に近いと一番意見が反映されてていいとか、研究されてそうですけどね。検索して全部書き直すはめになったら嫌なので調べませんが。

 

ちなみに、久しぶりに続けて更新してますが、ポケモンGOに狂乱していたわけではありません。

むしろiOSが古すぎてプレイできなかったので、アンチポケモンとして活動していた結果です。

いや、それも嘘です。

ただの怠惰です。