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違和感を感じるへの違和感

松本です。

今日の一曲
 
昨日、パパ友と焼き鳥食べに行ったら、一曲目に流れたのがこれでした。いやー、センスいいですねって店長に話しかけましたよ。サブライムはラップロック全盛期に活躍したバンドですが、他とは一線を画したオシャレ感というか、音楽の幅が魅力でした。Voのオーバードーズが原因で解散する訳ですが、もし存続していればもっともっと有名になったでしょうね。

違和感を感じるへの違和感

皆さん、ブログを書いたり読んだりしていて、他人の言葉遣いの中で、どうしても気になるものってないですか。

僕のどうしても気になってしまう一つに「違和感を感じる」という言い回しがあります。これ、どうしても気になるんです!


なぜ!?なぜ、違和「感」の後に「感」じるを繋げてしまうのか!?別に違和感を感じてもらってもいいんですよ。どんなことにでもね。じゃあなぜ!違和感を感じることに違和感を感じないのか!?と僕は思うのです。

言いたいことはわかります。どうでもいいでしょう。でも、ブログってそんなもんですよ。この記事がしょーもない記事ってことはもうタイトルでわかってたでしょうよ。でも、言われてみれば、って方もいるでしょう?違和感を感じないでよ!って僕はいつも思ってるんです。

ここで違和感が

しかしですね、ここで僕は違和感を覚えました。今まで「違和感を感じる」なんて「頭痛が痛い」と同様の表現だと思っていました。ふと、本当にそうなのだろうか。

なんか、そこまで酷い重複でもないような。僕自身、あまり重複言葉は使わないようにしてきたんですが、どれだけ頑張っても「電流が流れる」だけは、言い換えが浮かばないなっていうのを思い出しました。

電子が流れる(そしてその流れと逆方向に人間が定義した「電流」という現象が起きているように感じるゥ!)なんて、通じる人が限られますからね。そう考えると、違和感を感じる・・・うーん?ちょっと先生に聞いてみよう。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

「違和感を感じる」は重言(二重表現)ではありません。

 


な、な、なんだってえええええ

 

二重表現(重言)の例としてよく挙げられる「馬から落馬する」「頭痛が痛い」などが、「漢字」の重複を含むために「文字」の重複を「二重表現」だと誤解される方が多いのですが、二重表現(重言)とは、「永眠して亡くなる」「女の婦人」のように「意味」が重複する表現のことです。

 

え、え、えええええ????

 

一方で「違和感」は「違和を感じる」という語構造ではありません。つまり「違和感」には「感じる」という内容が含まれておらず「違和感」全体で一つの「感じ」の名称なのです。

 

えー・・・

 

例えば「普段着」「かっぽう着」も「普段を着る」「かっぽうを着る」という構造ではなく、どちらも「普段着」「かっぽう着」というひと続きが衣類の名称で、どちらにも「着る」という内容は含まれていません。そのため「普段着を着る」「かっぽう着を着る」と言っても二重表現にならないのです。「違和感を感じる」もこれらと同様です。

 

うわー・・・確かに、としか言いようがない!

 

恥ずかしい!そして、思いとどまってよかった!!ここから怒涛の罵詈雑言の嵐で、言葉で殺してやるぐらいの勢いで書くつもりでした。ま、間違いじゃなかったなんて・・・

簡単に言うと「スマートな表現ではない」ということみたいですね。あれ?いや、それすらも間違い?違和感を感じるのと、違和感を覚えるのでは意味が変わってくる説まで・・・ふ、ふーん。そうなんだ。へー。

もしかして、あれかな?「ご」で始まって「い」で終わる、謝罪する気持ちを表現するときによく用いられるあの言葉を使った方がいいのかな?有名なやつね。○○○○○○、ってやつね。そう、あれあれ。あの表現が一番合うのかな?ふむふむ。

でもさ

でもさ、そもそも誰に謝るのって感じじゃない?(ゲス風に)表現としては間違ってなくてもさ、綺麗な表現じゃないのはみんなわかるじゃない?だからさ、別に誰に謝るとか必要なくね?

誤字脱字ならわかるよ。

目に見える間違いだからさ。

んー

なんていうか

いやー、今日も頑張ろう!