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四条通り週末.com

京都から万物の面白さを伝えます

「やらない善よりやる偽善」の思想は崩壊した

全般

 

松本です。

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熊本を中心とした地震で被害にあわれた方々が、一刻も早く元通りの生活に戻れることを心より願っております。私自身、恥ずかしい程度の極々小額ではありますが、KDDIを介して日本赤十字社に募金をさせて頂きました。

はじめに

まず、この記事を書くにあたり、最初に言っておきたいことですが、僕は募金活動を行うことや、被災地のためにお金を使うことは、全く偽善とは思っていません。

何か、少し前からの風潮で、被災地のためにほんの少しの支援をすることを、恥ずかしがってか自ら「偽善」と言う人々が増えたように思います。

しかし、それらは「善行」であって、何も偽善ではないと思います。何もかも一緒に「偽善」とまとめてしまうと、被災地のためにする正しい行為が、まるで正しくない行為のように捉えられてしまう可能性があります。

「やらない善よりやる偽善」とは?

「やらない善よりやる偽善」とは、数年前からネットを中心に使われている、ごちゃごちゃ言うよりは何かやった方がいい、という姿勢を斜めに構えて表した言葉だと思います。

僕も、この言葉には賛成でした。何をもって善なのか偽善なのかという基準は別として、何かをするという行為は大事ですし、ボランティアで被災地に向かう人々はすごいなぁと思っていました。

しかし、ここ数年のSNSの発達により、違った側面も見えてきました。

これはツイッターで話題になり、5万RTもされた、被災経験のある方のツイートです。

被災地のために何かすることは素晴らしいけれども、タイミングや方法を間違えると、やらない方がいい、ということにもなりかねないという話です。

また、他にも被災者の方が、ボランティアの学生が作った炊き出しの味が薄くて腹が立った、という話をツイートしたことも一部で話題となっていました(伝聞調だったため、真意は不明)。

これらの是非はともかく、今までは善意のボランティアに対する不満を言う場というものがあまりなく、一般的に周知されてなかったことが、匿名や半匿名のSNSを通じて広く拡散されるようになってきました。

ここで今一度、考えるべきタイミングではないか

やらない善よりやる偽善という、半ば言葉遊びで実行されてきたことも、本当に被災地のためになる偽善なのか、今一度考えるべきだと思うのです。

緊急の事態なのでLINE通話が5分無料にします、という処置をとったことが、本当に緊急の電話で使用する回線を圧迫してしまう、という問題もありました。

マスコミが飛ばした報道用ヘリコプターの騒音が、救助活動の妨げになるという問題もありました。

大企業やマスコミですら、間違えるわけです。

それなのに、個人が各々で考えて行動して、その全てが正解なわけがないと思うのです。

何も支援できないことを恥じる必要はない

と、僕は思うのです。

特に震災直後は怒濤の勢いで被災地の様子が報道され、何かしないと!と思う気持ちはみんなあると思うんです。今すぐ飛んで行きたいと思うかもしれませんが、それは能力のある人に任せるべきなんです。

個人では小額の募金しかできないかもしれませんが、それをみんながすれば大きな支援となるわけで、周りや芸能人と比較する必要はないはずなんです。

「やらない善よりやる偽善」といった自己正当化ではなく、過去の教訓を元に、ちゃんと考えて、自分でやれることをやるのが重要なのではないでしょうか。

 

あと、大前提として、自分が被災者になることも十分あるわけですから、その備えも怠ってはいけませんね。被災地のことを考えるのは、未来の自分を考えることでもあると思います。

 

ちなみに我が家の玄関にはこれが置いてます。

 

あと、被災地の糖分確保のため、井村屋の羊羹が重宝したらしいですね。こういうのは当事者になってみないとわからないものですよねぇ。