読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

四条通り週末.com

京都から万物の面白さを伝えます

神様はいると思います

ブログ 全般

 

松本です。

今日の一曲

神様はいると思います

ちょっと前に「神様はいない!」と、書いている記事を読みまして。僕も宗教への反発からそう思ってた時期があったなぁと思い、神様についてちょっと書いてみます。

神様がいるかいないか、の議論があった場合、僕は間違いなくいると思います。

こう書くと、うわこいつ痛いなーと思われるかもしれませんが、正確に言うと「神様はいる」じゃなくて「神様はいると思います」までが僕の言いたいことなのです。

この世界を創ったのは

もちろん、この世界を創ったのが神様で〜とは思っていません。

宇宙のことに興味がある人はわかると思いますが、宇宙の現象は全てが理論で説明できるようになっていて、そこにはとんでもない確率、いわゆる「天文学的確率」というレベルで起こりえないものが、連続して起きていて今あることが説明できてしまうのです。

もちろん、現在は説明つかないこともたくさんありますが、これがこうで説明できないという説明ができ、それがどんどん技術の進歩により、解明されつつある世界なのです。

神様はどこにいるか

では、神様はどこにいるか。それは自分の中にです。これは、なんかええこと言うたろかなという精神ではなく、我々の成長の過程での、教育によるものです。

例えば、神社でお札をもらった時、それをビリビリに破り捨てれますか?道端のお地蔵さんを足蹴にできますか?ツバを吐きかけられますか?

こういった質問に対し、おう、できらぁ!と答えた方は、きっと心の中に神様が存在している人だと思います。心の中に何もない人は、どうしてこれができるかどうか聞かれてるのすらわからない人だと思います。

日本人は「この神様を信じる!」という精神ではなく、日本人の歴史が作り上げたふわっとした神様が、倫理観の一部に信仰心がうまく作用しているんだと思いますね。

困った時の神頼み

他にも、困ったときの神頼みとか、これが上手くいけば次からは真面目になりますとか、親切なことをして自分に返ってきたら神様は見てくれてるとか、そういった感情というのは挙げればキリがないでしょう。

自分が神様を信じているとか信じていないとか、それとは別次元で、頭の中に神様はいるんですよね。それは環境とか、教育の問題であって、本人がどうこうじゃないと思います。

ちなみに、僕も占いなんて信じないし、神様も信じていない方だとは思いますが、いいことがあったときは信じてたァー!っていうタイプです。損はないし。

信仰心は恐ろしい

ただ、信仰心が恐ろしいという考えは同意です。僕は京都に住んでいるので、お寺巡りも結構好きでして、その中で一番好きなのは「三十三間堂」です。なぜ好きかというと、恐ろしいからです。

三十三間堂には千手観音像が1001体も並んでいます。もちろん、どれも手彫りです。非常に精巧で、今にも動き出しそうです。それが1001体ですよ。信仰心がないとできないと思いますし、こんな建物を作らせる心に恐怖を抱きます。

僕は一年に一度ぐらいは三十三間堂に来て、恐ろしいな、と思うことにしています。こんなにも身近に信仰心の恐ろしさを味わえる場所はないですからね。

ISISにしても、シーシェパードにしても、信仰心が人を狂わせる例は多いと思います。

無宗教と無神教

また、あなたは神様を信じますか、という質問に「信じません」と答えると、海外では「神様はいないと信じている」という風にとられる場合があるから注意した方がいい、というのを聞いたことがあります。

海外では宗教を持っていることが前提で、神様がいないと思う=神様がいないと思う宗教と思われるんだとか。

とりあえず、無難に仏教を信じてますみたいに言う方がいいらしいですよ。


それでは。God bless you!