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四条通り週末.com

京都から万物の面白さを伝えます

5分でわかるアインシュタインの生涯

物理化学

松本です。

 

今日は僕の大好きなアインシュタインの話です。

ただ、僕が研究者として尊敬しているとか、目指しているとかではなく、単純に大好きな、というだけですから。僕の遥か彼方に存在するわけでもなく、全然別の位置にいる、歴史上の人物を好きってだけなので。信長が好き!みたいなのに近いと思ってください。

今日の一曲
もちろんタイトルで選びました。傑作「バームクーヘン」の前のアルバムで、佳作が結構入っているアルバム「ロブスター」の中でも、特に目立たない曲ですw キーボードのメロディが特徴的で面白いなーってぐらいの印象でした。ちなみにこのアルバムのジャケット(上の画像)は松本人志の書き下ろしです。

5分でわかるアインシュタインの生涯

まだです。5分数えるのはもう少しお待ちください。前説が入りますので。

 

アインシュタインのことを皆さんに知ってもらいたくて、非常に簡単に、シンプルに伝えるためにはどうしようかと考えまして。何かを限定すればいいんじゃないかなと。でも文字数だとなーと思っていたところ、3分クッキングみたいなノリも悪くないなと思いまして。あ、ここらへんは読まなくていいですよ。長くなっちゃうから。で「5分でわかる」というタイトルにしました。インパクトもありますしね。シリーズ化もいけるし。

 

アインシュタインは76歳で亡くなったため、大体15年を1分で駆け抜けることになります。さすがにね。だいぶ省略しますよ。アインシュタインも怒ってくるぐらい。ちなみに「1分でわかる〜」にしたい場合は、赤字だけ読んでください。

 

今まで知らなかったんじゃないかな、という部分、誰かに話したくなる部分は赤字にしておりますので、最悪、そこだけ読んでもらえれば面白いかな、と思います。

 

では、いってみましょう。

誕生から大学入学まで

アインシュタインは子供の頃から天才だった、というエピソードはなく、5歳まであまり話せなかった(今で言う発達障害だった)と言われています。また、あまり外で遊ぶような子供ではなく、よく家で数学の勉強をしていたようです。この性格は大人になってもそのままです。

 

子供の頃からとにかく規律が苦手で、ドイツのギナジウム(9年生の中学+高校みたいなとこ。卒業したら大学に無試験で入学できる)に入学しましたが、規律の厳しさに嫌気がさし、中退しています。

 

後にドイツ国籍まで放棄しており、一時期「無国籍」となっていました。15歳の頃、スイスの大学を受験しましたが、ギナジウムを中退していたため、失敗しています。その際に、君は数学と物理はすごいから、もう一年別のギナジウムで勉強したらいいよって言われ、一年後に入学しました。今で言う、一浪みたいなもんですね。

大学入学から

大学時代はよくカフェで授業をさぼっていたようで、得意科目はすごく良くて、興味ない科目は最低でした。この頃から、空を見ては頭の中で実験をする、思考実験を行っていました。この時期、すでに相対性理論の元になる考えを得ていたと言われています。

 

後に妻となる、ミレーバに会ったのもこの時期です(当時、女性が研究できる大学はかなり限られていた)。

 

卒業にあたって、大学で助手として残るつもりでしたが、先生に嫌われていたのでダメになりました。仕方ないなーと言って職を探し、学校教員を経て、スイスの特許庁に審査官として就職しました。仕事の合間かサボってか、物理の勉強に励んでいたそうです。

 

その後、かなり複雑な問題と悲劇を省略し、ミレーバと結婚します。ミレーバ自身が研究者であったため、当初はよく研究についての話をしたそうです。

「奇跡の年」

1905年にアインシュタインはいくつかの論文を発表します。それが「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」と、かの有名な「特殊相対性理論」に関連するものです。この年はアインシュタインが物理の世界を大きく拡大したと称賛され、奇跡の年と呼ばれています。

 

アインシュタインの特殊相対性理論に関しては、当初ほとんど反応がなく、相当がっかりしたそうですが、当時の有名な科学者であるプランクが興味を持ったことから、科学者の中で一気に広まりました。

 

アインシュタインはこれにより、世界的に評価される「科学者」となりました。しかし、発表後数年はまだ特許庁で働いていたようです。また、その間にあの有名な「E=mc2」を発表したり、エレベーターの思考実験から「等価原理」を思いつき、人生最高の名案だと喜んだりしました。

大学教授として再出発

なんやかんやあって、29歳の頃大学教授として再出発します。そして、色んな大学にヘッドハンティングされることを繰り返し、最終的に母校の教授となります。

 

しばらくして、かの有名な「一般相対性理論」を発表。数年後の皆既日食の日にその理論が証明され、アインシュタインは世界中で一躍有名人になります(自身は証明されなくても、間違っているはずがないと断言していました)。

 

この頃、ミレーバと離婚。離婚の慰謝料は「ノーベル賞をとってその賞金を全て渡す」でした(もちろん、言葉通りになりました)。

 

そのすぐ後、離婚する前から付き合っていた、いとこのエルザと結婚するものの、家庭を顧みず、外で若い恋人をいくつも作っていたそうです。ここらへんはイメージと違うんじゃないでしょうか。

 

1922年に来日したアインシュタインは、なんと43日も日本に滞在したそうです。アインシュタインが船でフランスから日本へ向かう頃、アインシュタインにノーベル賞が与えられることが発表されました。授賞理由は「光電効果の発見」です。

 

また、日本では毎日のように講演会を行って忙しく過ごしました。この際、日本人がえらい一生懸命聞いてくれるもんで、大の親日家になったと言われています。

 

その後、ナチスによるユダヤ人迫害ムードが強くなり、アメリカに亡命。アメリカで原子爆弾の開発を進言する手紙に署名し、生涯後悔し続けたそうです(原爆の開発に携わったわけではない)

 

終戦後、平和活動と、重力と電磁気力を統合する「統一場理論」の研究に全てを注ぎ、76歳で死去。

おまけ

5分!どうでしょうか。もうちょっとかかるかも。好評ならシリーズ化したいですね!気力が持つ限り。

 

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